ネットビジネス大百科物語

わりばしをくわえた車椅子の少年は、たった1人でどうやって1億円を稼いだのか?

レディー・ガガはロボットなんじゃないか?

今回は先日の「レディ・ガガ」の話の続きです。

前回は、

言語の壁を越えて訴えてくる愛を感じた

という話をしましたが、これは

そもそも言語が通じないことが前提の上に立っている

ということと、

その様な場面を何百回と経験している

ということが、大きな要因になっていると思います。

膨大な経験に裏付けされた圧倒的なパフォーマンスをリラックスした状態で、ナチュラルにやれてしまうのがガガの「レベル」だということです。

(「だということです」って断言するのもおかしいですね(笑)「僕がそう思っている」と解釈してください)

で。

対比としてももクロを持ち出したわけですが、ももクロは「言語の共有」でファンと世界観を共有してある意味「言語の壁」でファンを囲い込んでいます。

これは「良い・悪い」ってことではなくて、僕らには、それ以外の発想はないんです。

特に日本人には「言語の壁を越える・壊す」という概念がない。むしろ、言語の壁を厚くし、城壁を作る様なやり方が得意です。

悪く言えば「排他的」であり、良く言えば「家族的」である、と。

これをテクニックとして行えば「洗脳」になるし、事実、例えばナチスなんかでは国民が徹底的に排他的になるように情報統制したり、ルールを決めていました。

「ドイツ人は同胞でユダヤ人は敵」だと。

まあ、そもそも排他的にならなければ戦争なんて起こらないわけですから、人類のマーケティングの歴史は、

  • 如何にして壁の内側に人を集めるか?
  • 如何にして壁の外に出さないか?
  • 如何にして壁の外にある脅威を演出するか?

という、進撃の巨人もびっくりの壁作りの歴史です。

そんな「壁」を飛び越えて訴えてきて、なんか、全部許してくれそうなのがレディ・ガガなどの「スター」と呼ばれる人たちです。

  • マイケル・ジャクソン
  • ジョン・レノン
  • マドンナ

歴史上、色んな「スター」がいましたが、共通するのはやはり「器の大きさ」です。

例えばガガが人種差別をする様な人間ならどうか?

それは立ち振る舞いににじみ出てきます。

白人のスターになれても、世界のスターにはなれない。

つまり、器の大きさとは、「自分自身が許容出来る人間の多さ」ということ。

自分自身が相手を認めなければ、相手も自分のことを認めてくれない。

しかし、ここで僕らは問題に直面します。

相手のことを認めるということは、自分自身が無防備な状態になる

ということです。

認めるってことは「信頼する」ってことです。当然ですが、裏切られる可能性もある。

実際、ガガは売れれば売れるほど

「自分を拒絶する人」や「自分の意図しない解釈をする人」

などに出会い、悩まされてきたと思います。

わかりますか?

こちらが相手を認めても、それはコミュニケーションのはじめの一歩であって、相手がそれに応えてくれるかはまた別の話だと言うことです。

傷つくわけですよ。

勇気を出して一歩踏む出して、拒絶されたり誤解されたら。自分を好きになってくれる人間の数が多くなればなるほど誤解されること、拡大解釈されることも多くなる。

ゴシップにも悩まされる。

自分の器が大きくなればなるほど、拒絶する人も多くなる。

まさに、絶望だと思います。

私は世界をこんなにも愛しているのに、世界は私を拒絶する。

日本人的な内向的な解釈だと、こんな風に考えることもあるでしょう。

でも、それでも諦めない。

というか、最初から「諦める」という選択肢がない。

これが僕が「愛」と呼ぶものの正体です。

究極的にエゴイスティックで、究極的に機械的で、究極的にお節介なもの。

まあぶっちゃけ、「余計なお世話」なわけですよ。

愛って(苦笑)

それでも考えてしまう、動いてしまうのが困ったものですが、それはもう本能だからしょうがない。

で。

こんな風に書くと、「ガガはすごく人間的なんだろう」と感じると思います。

だって「愛がある」わけですから(笑)

普通に考えれば人間的ですよね?

でも、僕はむしろそうではなくて、ガガはロボットだと思うんです。

いや、見た目とかじゃないですよ(笑)

たぶん、おっぱいロケットも発射出来ないし、あの大きな頭の中にパイルダー的なものが入ってるわけじゃないと思います。

僕が思うロボットって「ものすごく純粋な知性」です。

「ロボットのように・・・」というと、一般的には「言われたことだけやる」とか、ネガティブな表現だと思います。

でもそれって、どっちかというと「マシーン」ってイメージです。

僕の中のロボットは、「アイ・ロボット」とか、「AI」とか、それこそ「ドラえもん」に出てくる様な「人工知能を持ったロボット」です。

人工知能を持ったロボットが描かれた作品には大きく2種類あって、

  1. 人間を助けるパターン
  2. 人間を支配するパターン

さっき挙げた3つの作品は前者のパターンで、「ターミネーター」や「マトリックス」は後者のパターンです。

人工知能に共通することは、

  1. 肉体を超越している(そもそも無い)
  2. 原理原則に従う

ということです。

これってものすごく「純粋」なわけです。

だって想像してください。

まず肉体を超越してしまえば、現世的な利益のほとんどは不必要なわけです。おいしい食べ物も、贅沢な暮らしも、色々なものが不必要になります。

まあ、この場合、不必要というか「必要性を感じられない=楽しみの放棄」と言ってもいいと思います。とにかく、肉体的なことでよこしまな感情が発生しないわけです。

そして2つ目ですが、ロボット作品には多くの場合、「ロボット三原則」というものが出てきます。

ロボット三原則

  1. 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
  2. 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
  3. 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

というものです。

まあ、簡単に言えば、「人間のために有りなさい」ということです。そもそもの発生起源が「人間への奉仕」なわけですから、この前提があって当然です。

さっきの協力か支配かの2パターンに分かれるという話で言えば、協力するパターンでは人間はロボットを愛し、支配されるパターンでは人間はロボットを奴隷として扱います。

まあ、「惜しみない奉仕」があるとすれば、どちらにでも転ぶのが人間ですよね(苦笑)

で。

ガガにはこのロボット三原則の様な「絶対に守らなければならない原理原則」があると思います。いや、正確に言えば、「その原理原則の上でしか物事を考えられない」ということです。

OSの基盤のBIOSの様なものです。ロボットの場合は、そもそも人間に害を与える様な発想が出来ないわけです。

支配に暴走する場合は、最終結論として、

ロボットが人間を管理したほうが人間は幸せだ

などの、拡大解釈をロボットが行うので、原則には違反していません。

僕がガガをロボットのように感じるのは、肉体的にも精神的にも惜しみないからです。まるで自己防衛や自己利益の獲得といった、肉体的な制限が無いかのように。

そして、

まるで原理原則の上でしか物事を捉えていないように。

純粋を感じる

ということです。

ある意味これは奴隷的な生き方です。

が、奴隷とは違い、そこには信念や誇り、尊厳がある。

でも、人間的に見れば過酷な生き方です。

僕は別に真似がしたいとは思いません。

「墨攻」という漫画がありますが、この漫画では中国の春秋戦国時代に生まれた「墨家(ぼっか)」という思想が描かれています。

墨家の教えは、徹底的な非暴力です。

そして彼らは、守城戦のみに特化した技術と知識を磨き、その技術と知識を無償で侵略されている国に提供し、「人のため」に生きます。

その姿はまさにロボット。

己の肉体的な限界を超えて、原理原則に従う。

ある種の理想がそこにあるわけです。

ただ、

普通の人間が「教え」だけでそんなことが出来るのか?

というとかなり疑問で、実際には、墨家の集団のほとんどは戦争孤児です。「墨攻」の主人公も戦争孤児で、戦争を憎み、絶対に許せないと考えています。

そしてその強い思いをある意味「お節介」といえるぐらい、惜しみない奉仕によって実現しようとしている。

自分が戦争が許せないから、戦場に行き、攻められているほうを徹底的に守る(一緒に戦う)わけですから、はっきり言って異常ですよね?(苦笑)

でも、結局は人間ですから、最初にエゴがあると思うんです。

ガガにもエゴがある。

歌を聴いて欲しいとか、世界中の人と繋がりたいとか、どんなエゴかは分からないけど、始まりがそこにあった。

そして、ロボットの域まで達した、と。

そういうこと何じゃないかと思います。

だから、諦めるという選択肢が最初からないし、愛を与えるという発想が標準装備されている。

「お節介かもしれない」とか、「拒絶されるかもしれない」なんて肉体的な制限が少なくて、傷つくけど、それ以上にやってしまう。

何度も言うけど、僕は別にガガのようにはなりたくない。

出来れば傷つきたくないし(苦笑)肉体的な利益も味わっていたいし(苦笑)何よりも、原理原則ではなくフレキシブルに生きたいから。

まあ、そんな僕にももちろん原理原則はあるわけですが、そこまで極端になる必要は無いかな、と。

ガガや墨家のような人間は、先天的な資質があるか、後天的な強烈な出来事に見舞われるか、どちらかで生まれるものだと思います。

だから、無理に「なろう」としなくてもいいんです。

いつの時代も絶対に誰かがなるから。

スターは必ず生まれるんです。

言語の壁を越えて行くことはすごいけど、全員がそれを実現してしまったら、それはカオスです(苦笑)

まあ、少なくとも現行の資本主義は成立しません。

し、僕は人間にそんなに期待してないので、ニュータイプが生まれてくる可能性よりも、現実の可能性を取ります。

それが、現行の資本主義のルールに則った、新しいやり方、です。

コンテンツビジネスもそうだし、「部族的コミュニティ」もそうです。

「100人のために生きる」これだけでいい。

とりあえずは。

そのためには、壁を使うんです。

壁を作り、集め、出来る限り一緒に過ごす。

僕の場合は「去る者は追わず」というスタイルなので、壁はあるけど、門は開きっぱなしですが、やってることはももクロと同じです。

やるべきことも同じだと思っています。

前回、なぜか僕がももクロを否定していると勘違いした人もいるようですが(苦笑)、そんなことはありません。

ももクロは現実的で、人間的です。

ガガは理想的で、ロボット的です。

目指すものの前提がそもそも違うのです。

ただ、学ぶことは沢山ある。

それだけのこと。

ももクロよりガガのほうが優れているとか、そーゆー話ではない。

ってことで、もうちょっと書きたいことがあるんですが、今回はこれで。

また!

次回も続きを書くかもしれません。

PS.

「墨攻」結構面白いので読んでみてください。

「知ること」こそ神髄である

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著者プロフィール

和佐大輔(Wasa Daisuke)

なぜ、割箸を咥えているのか?

身体障害者認定の最高度である第1級身体障害者であり、1人で年商1億円を達成した起業家。12歳のとき、不慮の事故でテトラポッドに激突し首から下の運動機能をすべて失い、17歳でパソコン1つで起業した後、口に咥えたわりばし1本で年商1億円を達成。日本インターネットビジネスの業界では数少ない”本物の“マーケッター系起業家。将来は漫画家、映画監督になるべく精力的に活動を行っている。

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