わりばしをくわえた車椅子の少年は、たった1人でどうやって1億円を稼いだのか?
「稼ぐこと」に一番興味がある起業家やマーケターなどには、絶対にたどりつけない領域で、プライオリティの一番上に
「誰かに教えたい、誰かの成長を助けたい」
というタイプの「欲」がないと、この「プロセス」を味わうことは決してできません。
「私がわずか三ヶ月で1億円稼いだ方法をあなたに教えます」
という場合、おそらくその「ノウハウ」を教えてくれるのだと思いますが、そういう「プロセス」というのは、そうですね、ちょうど登山のようなもので、 一本の決まった道があるわけでは全くないのです。
人には得意な道があり、不得意な道がある。
そういう当たり前のことを踏まえると、その「プロセス」を教える作業は、途端に途方もなく難しくなります。
「ここを登りなさい、私はそれで頂上に着いたから」 と言うのはバカでもできます。まぐれで登頂できた人にだって言える。 でもそれはただの体験談。
一方で、
「目の前にいる人にとってのベストの道」
を示すことができるのは、ある意味で選ばれた人だけです。
1000回その山を踏破したとか、そこまで登ってはいないけど「山」というものについて異常に詳しいとか、あるいはもっとも重要なことに
「山は当然として、人間というものに造詣が深い」
という資質が必要になると思います。
なぜなら、人間について、目の前の人に対して興味関心がなければ、「その人」 にとってのベストなど分かるはずもないからです。
そう考えると、1億円稼いだとか、1兆円稼いだとか、それ自体は大変すごいことなのですが、それを果たして「正しく分かち合う」ことがその人たちにできるのかどうかと考えた時に、僕は激しく疑問なのです。
「目の前の人」と「自分の利益」と、どっちに関心があるのかなあ、と。
一回その山の頂上に着いただけなのに、その山の頂上の景色を味わっただけなのに、それをあたかも「正しく登頂する方法」を分かち合う、という風にすり 替えているだけなのではないか、と。
つまり、
「味わう」ために必要な力と「分かち合う」ために必要な力は別なのではなかろうか、と。
東京大学を卒業した先生が必ずしも教えるのがうまいわけではないように、その二つは区別する必要があると思います。
で、僕が見る限り、この二つを満たした人というのは、どの業界にも多くないのです。 予備校講師をやっていた時代も、「教えるのはうまいけど自力で問題が解けない先生」か「問題は大変良く解けるけど、教えるのが残念な先生」のどちらかの先生がほとんどでした。
生徒の成績がいいのは、当然両方を満たした先生のクラスです。 昨今ネット界隈でブイブイ言わせている人のサイトを見てみると、
「俺は三ヶ月で東大に受かったぞ、その方法を教えよう」
と言っているだけに見えるわけですが、その方法で他の人も受かるのかどうかということ、そしてあんたの教える実力は、ということの2点が、全く無視されていることが大変気になる今日この頃ではあります。
わざと重要な点をすり替えているのか、本人も無自覚なのか。
僕はおそらく後者だと思います。 なぜなら、そんな巧妙なすり替えを行える知力があるなら、そもそも論としてこんな寒いサイト作るわけがないからです。
だから彼らは、おそらく巨額詐欺を企てる悪人なのではなく、単にイノセントな原始人なのだろうと、僕は思っていたりするのです。
和佐大輔(Wasa Daisuke)
「なぜ、割箸を咥えているのか?」
身体障害者認定の最高度である第1級身体障害者であり、1人で年商1億円を達成した起業家。12歳のとき、不慮の事故でテトラポッドに激突し首から下の運動機能をすべて失い、17歳でパソコン1つで起業した後、口に咥えたわりばし1本で年商1億円を達成。日本インターネットビジネスの業界では数少ない”本物の“マーケッター系起業家。将来は漫画家、映画監督になるべく精力的に活動を行っている。