ネットビジネス大百科物語

わりばしをくわえた車椅子の少年は、たった1人でどうやって1億円を稼いだのか?

満足した豚か、不満足な人間か

僕はしばしば不安になることがあります。様々な場面で、さまざまな人から

「人間って、幸せになるために生きてるんですよね」

という類の発言を聞くからです。果たして、人間は「幸せになるために」生きているのでしょうか。本当に、いつか幸せになれるのでしょうか。

仮に、そうだとしましょう。では、根本的な問いですが、人間は、どうやったら幸せになれるのですか?

「そんなの人それぞれ、その人が幸せだと思ったら幸せなんじゃないですか」

という答えもあるでしょう。それはもちろんそうかもしれません。しかし僕が聞いているのはそういうことではなく、

「その人が幸せを感じるための条件はいったい何なのか」

ということです。「そんなのも人それぞれでしょう」という答えもあるかもしれませんが、そうやって言ってしまったら、究極的にはあらゆることが「人それぞれ」になってしまいます。

そうなれば、そういう人達に限って大好きな成功 「法則」などというものは原理的に存在できなくなってしまいます。

何か共通の条件があるからこそ、「法則」と言えるのですから。

例えば、先ほど例に挙げた「まず自分が味わいなさい」はどうでしょうか。これを「まず自分が幸せになりなさい」と解釈することは、自然に聞こえませんか。

そして「そのあとで、その幸せを分かち合いなさい」と。うんうん、もっともだ、となるでしょう。これいかにも成功法則っぽい。

僕が言いたいのは、これが決定的に間違った解釈だ、ということです。

こういう解釈を「勝手に」してしまうから、その人たちは死ぬまで成功できないのです。そして何より恐ろしいのは、こういう解釈が「多くの人にとって」 ごく自然になされてしまうという点です(だからこそ成功者はいつの時代も少なく、その価値が守られるということも言えるのですが)。

よく考えてほしいのですが、「幸せ」を手に入れるということは、完全に満足し、 安心し、全てが満たされ、平穏になるということです。そうなった時、人間はどうなるでしょうか。

いや、人間に限りません、満足した動物はどうなるでしょうか。

そう、何もしなくなります。ジョン・スチュアート・ミルという現代に多大な影響を与えた思想家がいますが、彼は

「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。 同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。」

という有名な言葉を残しています。これもここだけ読めば様々な解釈が可能ですが、要は

「満足したらそこで人間は終わりなんだよ」

ということを言っているわけです。彼の著書から関連部分を引用しますと、

「感受能力の低いものは、それを十分満足させる機会にもっとも恵まれているが、豊かな天分をもつ者は、いつも、自分の求めうる幸福が、この世では不完全なものでしかないと感じるであろうことはいうまでもない。」

という箇所があります。要するに、愚鈍な人間は、豚と同じで、腹が満たされ、 寝るところがあって、適度にセックスでもできればそれで満足するけれど、そうでない人間は、自分の求めている幸福というものが「愛」とか「正義」とか 「善」とか「公正さ」とかいろいろと高次元なものから成ることを知っているために、常に不満足である、と。

そういうポジティブな意味での不満足が、人間として意味のある人生を作る原動力になるのだ、と。そう言っているのです。 僕はごく最近のセミナーで、

「幸せは、死んでから得たらいいじゃない」

ということを言いました。だって、生きている以上幸せを手に入れることはできないのだから。本当に手に入れたければ、死ぬしかない、というのが僕の考えですし、世の中に無数の宗教が存在して「死後の世界」を語るのも、そういう理由からなのです。

ですから、

「まず自分が幸せになりなさい、そのあとでその幸せを分かち合いなさい」

は、もっともらしく聞こえるけれど、残念ながら

「成功とは真逆」

に進む道なのです。そもそも幸せはパンやリンゴのように分かち合えるような物質ではないですし、「幸せ」を手に入れるということは、そこで一回人生の最終目的を達成してしまいますので、その意味でその人の人生は終了します。

つまり「味わったら(=満足したら)終わり」になってしまうわけですが、これ は天下の成功法則、そんなことを言うはずがないのです。

「さっさと満足して人生終わりなさい」なんて成功法則、聞いたことないですよね。

違うのです。成功法則は、常に

適切に次のステージに進め

ということを言っているだけなのです。そしてその「適切」な道を示してくれている。しかし普通はそう解釈できません。なぜならそういう人生はチャレンジの連続で、生半可な人間には「辛い」からです。辛い人生より、ふわふわと幸せな感じのするお花畑人生が良い、普通はそう思います。だから、人は自然とそういう解釈をしてしまうのです。そのせいで、全てが空回りしてしまう。

繰り返しますが、幸福は生きている間は決して手に入りません。いわば、目の前にあるニンジンです。目の前にいつもニンジンがあるから、生き物は生きることにこだわれるのです。常に走るモチベーションが沸いてくるのです。

健全なモチベーションは、ポジティブな不満足から生まれる。

ある生き物が自然淘汰に打ち勝ち、進化を遂げるためにこのニンジンは不可欠ですが、幸福感などというものは邪魔なだけで不必要です。人類が歴史のどこかで「完全に満足した豚もしくはバカ」になっていたら、今の我々はいないでしょう。その時点で淘汰されてしまうから。僕らはずーっと、先祖代々、不満足なのです。そして、これからも。

だから、「幸福になるために頑張る」というのは生き方としては素直だけれど、 決して手に入らないものなのだということを、理解しておく必要があります。 僕は、そんな当たり前のことすら考えないばっかりに、燃え尽き症候群みたいなことになってしまう人を、たくさん見てきました。

もったいないとしか言いようがない。

頑張って頑張って世界の役に立って、その先にあるのが虚無感と絶望だけだったら、何のための人生だったのか、と。

教育者という生き方

人生の意味とはなんなのか

著者プロフィール

和佐大輔(Wasa Daisuke)

なぜ、割箸を咥えているのか?

身体障害者認定の最高度である第1級身体障害者であり、1人で年商1億円を達成した起業家。12歳のとき、不慮の事故でテトラポッドに激突し首から下の運動機能をすべて失い、17歳でパソコン1つで起業した後、口に咥えたわりばし1本で年商1億円を達成。日本インターネットビジネスの業界では数少ない”本物の“マーケッター系起業家。将来は漫画家、映画監督になるべく精力的に活動を行っている。

人気の記事

ネットビジネス大百科について

【無料公開】0から稼ぐ1人ビジネス

テトラポッドに札束を

和佐大輔について

木坂健宣について

サイトランキング